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日本の流通業を変えたコンビニエンス・ストア誕生の経緯           

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セブン-イレブンを1万8000店という世界一のコンビニエンス・ストアに育て上げた鈴木敏文氏がグループ会長の座を降りるということで注目を集めています。セブン-イレブンを日本に導入してから42年間、変わらずセブン-イレブンの経営を見続けてきたことになります。鈴木氏の功績については多くのメディアで取り上げられていますので、ここでは改めてコンビニエンス・ストアが誕生した経緯に触れておきましょう。

開発着手は70年代の初め

コンビニエンス・ストアの開発は、1970年代の初めに大手小売企業によって手が付けられました。セブン&アイHDの前身であるイトーヨーカドーは1974年、ダイエーがローソン1号店に当たる桜塚店をオープンしたのが1975年、ファミリーマートは2社に先駆けて1973年にその前身になる実験店をオープンしています。

しかし、それが本格化するのは、ユニーのサークルK、ジャスコのミニストップ、長崎屋のサンクスなどが参入してくる1980年代に入ってからです。コンビニエンス・ストアの開発には、アメリカ小売業のノウハウがモデルとなっています。実際は、発展の歴史も、流通業での位置づけも、人々の暮らし方も日本と全く違ったものでしたので、ほとんど参考にならなかったのですが、そこから手が付けられることになったのです。鈴木敏文氏が、サウスランドとの提携のためにアメリカの本社を訪ね、相手のプレゼンテーションの時、眠ってしまったという話は、今や伝説的になっています。

中小零細店との激突が原因

1970年代の初めは、大型店と中小零細店との摩擦がピークを迎えた時期でした。ダイエーを初め戦後急速に成長してきた大型店が中小零細店の経営を圧迫するようになったのです。1972年には、ダイエーが三越を抜いて日本一の売上高になりました。各地で大型店進出反対の運動が一層激しくなっていきます。それまで、百貨店法で百貨店だけを規制していたのですが、新興の大型店舗も規制すべきだ、といった声が日増しに高まってきます。

1973年には、『大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律』、いわゆる「大店法」が成立し、大型店の出店は大変厳しいものになります。大型店の出店を申請しても調整のために何年も掛かると言う状況が出てきました。イトーヨーカドーでも静岡県などでオープンまで10年以上も掛かるという事態が生じます。こうした危機的情況の中で大型店は活路を模索していました。

大型店の模索した活路には、2つの側面がありました。1つは、大店法に掛かからない店舗の開発です。規制の範囲内で展開できる中・小型店の可能性です。ロードサイドのホームセンターやドラックストア、専門店などに注目が集まりました。もう一つは、中小零細店との共存共栄の模索です。

無視できない歴史的背景と地理的要因

これまでの中小零細店が大型店進出で大きな打撃を受けたのは、生産性が低いためだ。もっと効率の良い店舗を提案すれば共存共栄の道が拓けるのではないかというものです。アメリカの流通業を見ると、大型店舗を展開するチェーンが大企業になっている中で、中・小型の店舗も成立していました。それがセブン-イレブンを初めとするコンビニエンス・ストアだったのです。

アメリカ社会でのコンビニエンス・ストアの役割は、スーパーマーケットの補完であり、ガソリンスタンドなどに併設された車社会での便利な買物の場所でしかありません。アメリカ小売業全体の売上割合で見ても2、3%でしかありません。そのコンビニエンス・ストアを逸早く日本的にアレンジし、効率的なシステムを創り上げた鈴木敏文氏の手腕は確かに高く評価されます。しかし、日本のコンビニエンス・ストアが生まれた歴史的背景と消費者に認められる地理的な必然性というものも見過ごしにはできないでしょう。

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