日本の流通業を変えたコンビニエンス・ストア誕生の経緯
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開発着手は70年代の初め
しかし、それが本格化するのは、ユニーのサークルK、ジャスコのミニストップ、長崎屋のサンクスなどが参入してくる1980年代に入ってからです。コンビニエンス・ストアの開発には、アメリカ小売業のノウハウがモデルとなっています。実際は、発展の歴史も、流通業での位置づけも、人々の暮らし方も日本と全く違ったものでしたので、ほとんど参考にならなかったのですが、そこから手が付けられることになったのです。鈴木敏文氏が、サウスランドとの提携のためにアメリカの本社を訪ね、相手のプレゼンテーションの時、眠ってしまったという話は、今や伝説的になっています。
中小零細店との激突が原因
1973年には、『大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律』、いわゆる「大店法」が成立し、大型店の出店は大変厳しいものになります。大型店の出店を申請しても調整のために何年も掛かると言う状況が出てきました。イトーヨーカドーでも静岡県などでオープンまで10年以上も掛かるという事態が生じます。こうした危機的情況の中で大型店は活路を模索していました。
大型店の模索した活路には、2つの側面がありました。1つは、大店法に掛かからない店舗の開発です。規制の範囲内で展開できる中・小型店の可能性です。ロードサイドのホームセンターやドラックストア、専門店などに注目が集まりました。もう一つは、中小零細店との共存共栄の模索です。
無視できない歴史的背景と地理的要因
アメリカ社会でのコンビニエンス・ストアの役割は、スーパーマーケットの補完であり、ガソリンスタンドなどに併設された車社会での便利な買物の場所でしかありません。アメリカ小売業全体の売上割合で見ても2、3%でしかありません。そのコンビニエンス・ストアを逸早く日本的にアレンジし、効率的なシステムを創り上げた鈴木敏文氏の手腕は確かに高く評価されます。しかし、日本のコンビニエンス・ストアが生まれた歴史的背景と消費者に認められる地理的な必然性というものも見過ごしにはできないでしょう。
内呂民世(うちろたみよ)
流通専門出版社で月刊誌の編集長、出版部長を勤めた後、2008年から11年まで立教大学大学院講師。現在流通コンサルタント。
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